ピアノとの出会い
4歳の頃、両親が買ってくれた童謡レコードを毎日聴いている内に覚えてしまい、親戚の前で覚えたお歌を披露。私の音楽初舞台です(笑)
それ程好きならと、S先生に習うことに。お父様日本人、お母様ロシア人のS先生は、幼い私達にとって大人の世界の憧れの先生でした。ピアノへの夢と憧れを自然に抱くようになったのも先生の存在があったから。しかしレッスンは大変厳しく、私は行く度に大泣きしていました。
ピアノが嫌で泣いていた訳ではなく、言われた事がすぐ出来ないもどかしさで泣いていたらしいーそれ程不器用な子供でした。
指も弱くバリバリ弾けない私でもそこは大目に、様々な作曲家の曲を先生自ら弾いて下さり同時に私達にも弾かせていただける嬉しさ!「練習は辛いけれどピアノは好き!」この「好き」という漠然とした感情を子供時代に持てたことが、その後の人生への一番の財産になったと思います。
音大生時代
音大を目指す受験生達は本当によく練習します。高校生でお習いした大学教授A先生、o先生の門下生も然り。それ迄音楽性のみで評価され、テクニックは未熟だった私は案の定その後大変な道を歩みます。
練習量の多さが演奏の上手さに直結する世界、先生に認めてもらいたい一心でショパンエチュードをやみくもに練習した結果、腱鞘炎になってしまい、半年間棒に振ってしまったこともー文字通り朝から晩まで音楽漬けの大学時代は楽しく充実した日々ではありましたが、肝心の主専攻のピアノ演奏に関しては、日々の課題やテストに追われ基礎のテクニックを一から見直す時間の余裕はなく、思うように弾けない行き詰り感がありました。何を、どう変えていけばいいのか、暗中模索の日々。
新たな出会い
子供が幼い頃お習いした東京芸大附属高校講師H先生のレッスンは、それ迄のレッスンとは全く違うアプローチ。何よりもまず「ピアノという楽器を美しく鳴らすこと」を前提にしたレッスンでした。タッチを変えると同じ曲を同じピアノで弾いてもこんなに変わってくるなんてー目からウロコの日々。新たなピアノの魅力を発見出来た嬉しさ!では子ども達にどうすれば分かり易くタッチの使い分けを伝え、美しい響きを感じてもらえるのか。学生時代とはまた違った角度から再びピアノにのめり込んでいきました。
アレクサンダー・テクニークのI先生に出会えたのもその頃。体の使い方を意識することで、ピアノ奏法のみならず日常生活全てがこんなに楽になるなんて!日常生活の延長線上にあってこそのピアノ、当教室の原点です。
そして現在の師、角聖子先生との出会い
1996年、CD「角聖子お父さんのためのピアノレッスン」が発売され、楽譜が読めないお父さん達でも弾けるようになる画期的な指導法が話題になりました。井上直幸先生と同じピヒト・アクセンフェルト先生門下の角先生、きっと音楽で同じ方向を向いていらっしゃるのではとの直感がありました。以来20年、私の勘は間違っていなかったどころか、お会いする度に新たな感動が生まれます。たとえピアノ指導者であっても常に自分自身も弾き続けて勉強していることが、先生のモットー。私のピアノも客観的に聴いて下さり的確なアドバイス、そしてそのあとなぜか、いつも幸せな気分になるのです。そう、音楽とは元々人々を幸せに、豊かな心に導いてくれる宝物。なのに、ピアノを弾くことに苦しめられて辞めてしまったり、不幸な結末に終わってしまう人々の何と多いことか・・・小さな教室ですが、折角習いに来て下さる皆様が「今日も行ってよかった^^」と帰り道に思っていただけるよう、一期一会の気持ちでレッスンしています。
大山 文子